--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2010
04.27

天声人語

Category: つぶやき
先日りんりんの塾で配られた「受験のために読んでおきたい本一覧表」の中に、朝日新聞「天声人語」とあった。
「新聞の一面のコラム」ではなく、朝日新聞「天声人語」を読めということだ。

各新聞でそれぞれ一面にコラムが掲載されているが、我が家でとっている毎日新聞では、「余禄」。
この「余禄」は、それなりに興味深く読んではいるが、日ごろからどうも底の浅さが気になる文章が多いような気がしていた。
初めから3分の2ほど使って、何か豆知識のようなものを披露して、最後のほうで、転じて――となるタイプの文章が多く見られる。
そういう書き方をされると、文章全体としての統一感が感じられず、どうも尻切れトンボのような印象が残る。
階下の義父母のところでは読売新聞。なんというコラム名だったか忘れた。
風刺としての内容はあるにしても、文章として見るとそれほどたいしたものではない。
昔は、朝日新聞をとっていた。
新聞を変えた理由はここでは言及しないが、朝日新聞の「天声人語」は、他の新聞の同様のコラムにくらべて社会的にも高い評価を受けているので、「天声人語」を読めなくなったのは結構惜しいと思っている。

塾のプリントを見たとき、朝日新聞ではないので「天声人語」は読めないなぁと思っていたが、ふと思いついて、ネットで検索してみた。
ありがたいことに、今や、なんでもネットで見られる時代になった。「天声人語」もちゃんとある。
これではますます新聞をとる人は減るだろうなぁ、と思いつつ、「天声人語」を久しぶりに読んだ。
「余禄」との違いが、はっきり分かる。
文章の骨格が、サンドイッチ構造になっているものが多い。
つまり、冒頭で引用した話題から、本題の社会風刺を誘導し、その後の結論で再び元の話題を有機的に絡ませて使っている。
そうすることで、単なる社会風刺文を越えたひとつの文章として、統一感が感じられ、完成度の高い文章になるのではないだろうか。

と、つらつらと、思ったことを書いてみたが、さて、本題に立ち返り、これを毎日印刷して、りんりんに読ませて要約・感想など書かせてみるか?
確かに、国語力はつくだろうが、小学6年生の子供にこんな社会批判的な文章を読ませるのもどうかなぁ、と思ってしまうところもある。
逆に言えば、小学6年生の子供に、こんな文章を読ませることを求める中学受験って、どうなんだろうか?
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。